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2007年4月

2007年4月12日 (木)

せっかくだから俺はこの「メイドさん」を選ぶぜ!

本ブログの注釈です。

■「せっかくだから俺は~を選ぶぜ!」

もはやこの形で一つの定型句になっている感がありますが(笑)、セがサターンの伝説のソフト『デスクリムゾン』(エコールソフトウェア、1996)の主人公、コンバット越前の名台詞。ちなみに好物は焼きビーフン。何故わざわざ(笑

#一応、「メイドさん」ネタを語る際の自己言及性を象徴する表現だったりしなかったり。

■付和雷堂さんのメイド漫画

多様なネタを凄まじい角度で間断なく刻み込んでくる作風が私のツボを直撃するのですが・・・旬の作品のパロディを基本にしながらも、執拗低音(笑)のように懐かしいネタが流れているのが実に安心感を誘います(笑

今のところ総集編として『匠 メイド奉行凱旋/No maid, No life.』(2000)、『禅 メイド和尚 問答無用』(2002)、『侘 エプロン伯爵 一服献上』(2004)の3冊が刊行されてます・・・総集編のタイトルだけでもセンスが光りますね(笑

#ちなみにぴかちゅーの特技は1巻40頁、7WAYSHOTは2巻38頁、デスクリムゾンネタは3巻19頁。

■『電撃萌王』(1~16号)

今でも思い出すのですが、1巻(表紙:あずまきよひこ)を知人の家で見つけて、「これはよいものだ」と即座にアキバに買いに走ったけど全然見つからず、結局ソフマップの5F(当時)の書籍コーナーでかろうじて確保しました(笑

なんつーかまあ・・・読むのにほとんど時間がかからない雑誌ですね(笑

#ちなみに、私が愛読していた桃井はるこの連載は後に『アキハバLOVE』(扶桑社、2007)に収められました。

■「創られた伝統」

いうまでもなく、エリック・ホブズボーム/テレンス・レンジャー編『創られた伝統』(紀伊国屋書店、1992)以降広く知られるようになった問題枠組みですが・・・自らの立ち居振る舞いに適用しようとするとなかなか難しいのかもしれませんね。

ちなみに、参照を求めている本ブログで、かつて出先でさかんにスケッチを取っていたという件があるのですが、今見返すと、スケッチ対象にあまりに節操がなくて笑えます・・・なぜわざわざ名古屋に行ってマックの制服のスケッチをしていたのだろう私は(笑

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2007年4月 5日 (木)

おらといっしょにぱらいそさいくだ(せっかくだから有効活用・6)

本ブログの注釈です。

■『新世紀エヴァンゲリオン』
1995年10月~96年3月が地上波放送だったので、あれからもう10年以上経ってしまった、ということになりますね・・・なにやら感慨深いものがあります(笑
ちなみに、地上波の終わり2話について「やっぱり許せない、ナシだというのが、オタクのコア層で、アリだ、許せるのがサブカルだと分類することができる」のだそうです(加野瀬未友・ばるぼら「オタク×サブカル15年戦争」『ユリイカ』37巻9号、2005所収)、97頁)・・・この伝で行くと私はサブカル陣営になってしまうのですが(笑
私はアンドロイドもの好きなのでもっぱら綾波に着目して見ていたのですが(「多分私は3人目だから」とか、良い台詞です)、そこで綾波の<物語>が収束しなかったからといって、特にフラストレーションは感じませんでした・・・ほら、アンドロイドものって構造的に破滅的だし(笑
#そういえばこのころ、G・マクドナルドの『リリス』を人に勧める便法に使った憶えもあります。ヒドい話だ(笑

■諸星大二郎『妖怪ハンター』(ジャンプスーパーコミックス、1978)
タイトルで引用しているのは「生命の木」の名台詞(ネタとしてはちょっと一般的過ぎたかもしれません・・・反省しています)。非常に息の長いシリーズで、後に大判で再版もされておるのですが、私は初期のものが好きです。「死人帰り」は後の再版には採録されてないみたいですし。
#個人的には掌編「闇の中の仮面の顔」を推したいところ。

■ブラム・ダイクストラ『倒錯の偶像 世紀末幻想としての女性悪』(パピルス、1994)

確かこれも学部時代に、たまたま古書店でみかけて購入したものだったような・・・通読した際には、筆者の熱意、というかある種のバイアスに圧倒されたように記憶しています(いや、言わんとすることはわからんでもないのですけど(笑))。今は、「百科全書」として参照してます。

イラストに起こした綾波は、筆者の言うところの「背部緊張(opisthotonus)」のポーズを取らせてみたのですが(175頁)、なんとなく逆さにしてみたら、ジャーマンスープレックスで投げっぱなされているようにも見えますね(笑

■病弱崇拝

綾波のキャラ造形は、もともとは筋肉少女帯の「何処へでも行ける切手」に出てくる「包帯で真っ白な少女」がイメージの源泉なのだそうですが(別冊宝島421号『空想美少女大百科』、1999、83頁)、私はそのころ偏愛していた日野啓三の「星の流れが聞こえるとき」(『夢を走る』中公文庫、1987所収)を思い起こしました。

・・・ちなみに日野啓三は、以下のような文学的な表現で、20年前のコミケを描写した人です(笑

「異様な光景だったが、不健全という気が全くしなかった。こういう場所を探し出して、この子供たちは自分たちの夢の姿を生きているのだろう。しかしふらりふらりとさまよい歩く仮装の少年少女たちの姿には、やはり何かもの悲しい影がつきまとってもいた。こんな人工の離れ島でしか自分の夢を生かせないということは、東京の街の中は恐ろしいことになっているということだろうか。そんな東京をつくり上げてきたのは自分たちだった」(『夢の島』講談社文芸文庫、1988、19頁以下)

■「作者の死」

思想としてはもはやややクラシカルな域に属してしまうのかもしれませんが、ロラン・バルトの書くものや使う概念が私は結構好きです(これとかこれとかこれのように、過去にも何度か言及しました)。一応、この一連の記事(シリーズタイトルつけてませんが、「新春メイドさん放談2007」によせた雑文)のオチである「言語論的転回」の伏線でもあります(笑

・・・でも、『エクリチュールの零度』は何言ってるんだかよくわかりません(笑

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