注釈

2008年3月24日 (月)

「然し、入口の扉を中心にして、水星と金星の軌道半径を描くと、その中では、他殺の凡ゆる証拠が消えてしまふのです」「そーなのかー」(光は東方より・14)

本ブログの注釈です。しかしタイトル長いな(笑

■ルーミア

『東方紅魔郷』の1面ボス。しかし、「夜しか活動しない人は取って食べてもいい」という霊夢の言い分もどうかと思うのですが・・・このころの神主のセンスには、良い意味で常軌を逸したものがありますね(笑

ちなみにタイトルは小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、あとの二つの類例は、中井英夫『虚無への供物』、夢野久作『ドグラ・マグラ』からの引用です。

■「アホの子」

この後本ブログで何回か語っているのですが(これとかこれとか)、巷間言われている「アホの子」の類型は、どうも私のアンテナには引っかかってこないようです。

ちなみに「ネットの噂では」は『電脳コイル』の各エピソードの冒頭でしばしば使われたフレーズ。先日ムックが出たので『とらのあな』で購入しました・・・『電脳コイル』の話はまたいずれしたいと思います。

#せっかくなので、その長大さをして他者を唖然とさせた当日のレシートから、一緒に購入したコミック一覧:石黒正数『それでも街は廻っている』4巻、同『ネムルバカ』、カラスヤサトシ『カラスヤサトシ』3巻、同『萌道』、山名沢湖『つぶらら』3巻、柏原麻実『宙のまにまに』4巻、桜場コハル『みなみけ』5巻、今川泰宏・戸田泰成『ジャイアントロボ』3巻、和六里ハル『きんのたまご』、小林尽『SchoolRumble』20巻、同『夏のあらし!』3巻、井上和郎『あいこら』11巻、椎名高志『絶対可憐チルドレン』12巻、安部真弘『侵略!イカ娘』1巻、小島アジコ・仁『となりの801ちゃん』1巻、それと『MCあくしず』vol.7・・・上記ムックと併せて計11,090円。ちなみにとらのポイントは現在29,968ポイント(笑

##当日車中で読んでいたのは、折原浩『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か』だったですけどね(泣

■『つよきす』

アニメ版でしか見ていないのですが、確信犯的な遊び心がなかなか面白かったです・・・アイキャッチの入り方とか、なかなか良いと思ったのですが、原作とは結構違う設定だったのですね。このあたりの操作はいろいろ議論があるところでしょうが、私は、それぞれ別個に愉しめれば良いのかなあ、と思っています。

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2008年3月13日 (木)

Otaku from Anoter Planet

本ブログの注釈です。

■『天元突破グレンラガン』

後ほど本ブログで取り上げてしまいましたのでアレなんですが、古典的な方法論を、あるいはパロディという手法を用いる際に、「これは古典的/パロディなのだ」と銘記しないといけない時代が来ているのかもなあ、と、漠然と思ったりはします・・・これがおそらく、岡田斗司夫さんが言うような「オタクの死」なのでしょうね。

・・・かつてオタクと呼ばれる文化に存在したストイシズム、「わたしはまだまだオタクと言えない」「オタクの濃さが足りないと思います」というようなのが、5年、とは言わない、10年ぐらいまえのオタクの概念、オタク界におけるオタクの概念ですね。いやぁ、まだまだ俺なんか、オタクとは言えないですよ、と、みなさんのなかにもまだその感覚を持ってるひともいると思うんですけど、それがいつのまにか、「萌えがわかればオタクだ」と言われるようになった。いま萌えがオタクだ、だから、「萌えがわからない」と自称する岡田斗司夫はオタクじゃない、という論法が、まかりとおるようになった。わかりやすさでSFが滅びたとしたら、オタクという世界にも「萌え」というわかりやすさがはびこっている。それはしだいに「わかりやすい」以外のものを排除しはじめる。オタクって言うんなら、ミリタリーのこともわかっているのかとか、鉄道のこともわかっているのかとかいう、全体としてしなくちゃいけない、オタクの必要な教養としてしなくちゃいけないことをどんどん排除して、「俺がいま好きなものがいい」というふうになっていった。これが、SF界が滅びた感じと、いまのオタク界がすごい似ているところなんですね」(岡田斗司夫『オタク・イズ・デッド』ロケット野郎、2006、68頁:改行は省略し、漢数字はアラビア数字で表記しました)

■大野さんのコスプレ

このイラストのときは当然アニメの第二期は未放映だったのですが、なんというかまあ、誰でも考えるネタなんだなあ、としみじみ思いました・・・「僕にはまだ帰れる場所があるんだ」的な安心が(笑

原作だとオリジナルの(多分。元ネタあるようでしたらご教示ください)格闘ゲームのコスプレだったのですが。

■「この私の恥ずかしい妄想」(all my sick and twisted fantasies)

BLものについては、荻上の話に関連付けて前にも取り上げたことがありますが(コメントで「「柏書房」と「原書房」を間違えてました」とか書いてるのが我ながらバカバカしい(笑))、小島アジコ『となりの801ちゃん』(宙出版、2007-)などが人口に膾炙したことなどをきっかけにしてか、最近いろんな文脈で取り上げられるようになってきているようですね。つい最近では『腐女子刑事』なんてドラマもありました(あまり出来はよくありませんでしたが)。

#初学者の私には、金田淳子「やおい論、明日のためにその2」(『ユリイカ』39巻16号、2007)の「やおい論年表」が有益でした。

##あ、ふじもとせいが描いているので、『らっきー腐女子』(ホビージャパン、2008)は買いましたけど何か(笑

上記した岡田さんの論に引きつけて考えてみたいのですが、私はどうも、コアな趣味を「教養」として愉しんでいる(←ついこの漢字を当ててしまうような)のかなあ、と思ったりします・・・そういえばこのブログ、全然アメリカ旅行の感想を書いてないですが、こういうところもやはり自分のスタンスの反映なのだろうと思いますね。

『げんしけん』の第二期アニメで、朽木君の視点を借りた男性側からの「妄想」と、荻上の視点を借りた女性側からの「妄想」がそれぞれ描かれていましたが、どちらの読み込み方も、私にはどうにも向かないようなのです・・・後者はヨリポストモダン的な、関係性への関心に導かれているのだろうと思うのですが(本ブログでしばしば用いている「萌え四コマ」はこの関心に近いのだろうと思います)、私は実は、そもそもその前提になる(であろう)「キャラ/キャラクター」そのものにあまり関心がないのだろうな、という気がしています。

・・・本ブログで語っている「高燃費」概念は、そういった高踏的なスタンスを揺るがすような要素を抽出できないかなあ、という、いささか自虐的な試みなのですが(笑

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2008年3月 6日 (木)

斧を手にして法廷へ

本ブログの注釈です。少しペースを上げて・・・。

■歴史学研究会編『紛争と訴訟の文化史』(青木書店、2000年)

「シリーズ歴史学の現在」の中の一冊。青木書店、というとランディ・ジョンソンばりの本格左腕、という印象がありますが、いろいろと面白いシリーズものがあるのも確かかなあ、と思ったりします。このシリーズは結構面白いです。

「斧を手にして法廷へ 戦いか訴訟か--中世アイスランドの紛争解決手段」は、ぐぐってみると原著者のページよりも拙ブログの方が上位に来てしまうという非常に申し訳ないコトになってしまっています(笑

■幸村誠『ヴィンランド・サガ』(講談社、2006-)

ちなみに本文中で触れている「4巻の帯」は「アタシいま・・・ドキドキしてるの・・・あんなにも悪い人達がいるなんて・・・」です(笑

■内田弘樹/EXCEL『どくそせん』(イカロス出版、2007)

思わず『黒騎士物語』を買いなおしてしまいました(いや、小林源文さんのマンガって、中高生のとき読むものなので、なんだか手元に無いのですよ)。いろいろとアレなマンガが話題になりましたが、内容は私のようなミリタリ初心者にもわかりやすい、まさに「美少女系独ソ戦解説本の最高峰」と言って差し支えないつくりです・・・それはいったいどこの狂気の山脈か、という気もしますが(笑

■『ひぐらしのなく頃に解』

最近、ちょっとしたついでがあったので、コミックス版をまとめて購入して一気に読みました。結構健闘してるかなあ、という印象ですが、一番可笑しいのがカバー裏なのはどの巻も変わりません・・・ああ、あと作者のコメントですね(笑

どうでも良いですが、羽入のキャラソンはやっぱり買いですか?

■『撲殺天使ドクロちゃん』

申し訳ないことに原作(小説版)は読んだことが無いのですが、アニメ版は抱腹絶倒の出来でした(とくにサバトちゃん)。よく地上波で流したなあコレ、というのが率直な印象です(笑

ちなみに斉藤環さんのコメントは以下の通り。

斉藤 ・・・この著者〔伊藤剛〕にはフロイトフォビアないしはラカンフォビアがあると思うんですね。言いかえると「ラカン萌え」ということなんですけど(笑)。どういうことかと言いますと、論の進めかたが全体的にシステム論寄りなのはいいんですけど、精神分析に話題が関わってくると論点先取的に「精神分析ではきっとこう言うのだろう」とか言ってしまう。その否認の身振りを含め、この本の全体的な流れは非常に精神分析的だと思いました。特に、最後の「手塚治虫という『円環』の外へ」というところは、手続きが実に精神分析的です。まず「手塚治虫」という固有名が起源にあって、その隠蔽を解除するというところで手塚のトラウマから解放される、そういう手続きに見えるわけです。これを精神分析的にやればすごくすっきりやれるのに、なぜかそれを否認して非常に無駄の多いシステム論としてやっているので、わかりにくくなっている。好きなくせになぜ嫌うのかがわからない。まあ、そこが伊藤さんのいわゆる「小悪魔受け」属性なところなんだと思いますけど(笑)。〔中略〕・・・たしかに「キャラ/キャラクター」の区別は重要で、ライトノベルの話がさっき出たので言いますと、私は『撲殺天使ドクロちゃん』という作品が非常に画期的だと思っていて、これは主人公の男の子が撲殺天使に何度も殺される、細胞レベルまで分解されては再生されるというすごい話で、でも、これが可能なのはキャラの世界の話だからです。(『コンテンツの思想』146-148頁)

・・・そういや、コメントいただいた頭文字Oさんの「グレン・ラカン」というネタ振りに当初気付かずにスルーしてしまったのは痛恨でした。気付いたときにはタイミングを逸してしまっていて・・・申しわけない限り。

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2008年3月 4日 (火)

「今日のあたしはすっちぃだもの(はあと)」

本ブログの注釈です。

■伊藤明弘『ジオブリーダーズ』

姫萩さんの「今日のあたしは~」は2巻183頁、「牛丼の柾!」は8巻179頁。ちなみに「畳の目の跡がつく感じの質感」は7巻139頁・・・そういえばこの作品も、幕間はみんなで銭湯、という約束ごとがあるんだった(笑

OVAの話題が本文でありますが、OVAのエピソードも織り込み済みで話が進むので、より一層混乱します。マンガだけ読んでると、なんで成沢さんが重要人物なのかさっぱりわからんと思うのですが・・・いずれにせよ、マンガとしては確信犯的に不親切なので、というか、銃器が描きたいからとかそういう理由で描かれている節があるので、これはもう仕様と思うしかないかなあ、と(笑

■ドラマ視聴について

あんまり録画してまで通常の時間帯のドラマを見ることは無いので、9~10時代のものはかなり偶然性に左右されます。ああでも、深田恭子が出ているものは結構チェックしますね(深夜枠ですが、今期だと『未来講師めぐる』とか)・・・食べっぷりが良いからかも知れません(笑

本文で触れている形で今期なんとなく見てるのは『鹿男あをによし』ですかね。わりと映像としては面白いと思います。エンディングテーマが無駄に壮大です(笑

ああ、それから、録画はしてませんが深夜にいくつか見てますね。『栞と紙魚子の怪奇事件簿』は、最初いったいどうなることかと思いましたが、今はわりと面白いです。

■「低脂肪乳」

かつて話題にしましたが(コメント欄参照)、確か『ゲーメスト』かなにかのナコルルのパロディマンガが典拠です・・・なので、どれくらい一般性のある用語法かどうかは当然わかりません。

・・・これが、本ブログで述べている「高燃費」とどれくらいの連関があるかが現在の検討課題でしょうか(笑

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2008年2月28日 (木)

言い訳は用意しておきましょう

本ブログの注釈です。

■「言い訳は用意しておきましょう」

『もえたん』のDVDのTVCFの際に附されていたコメント。用意していたからってどうなるもんでもないですが(笑

『もえたん』は、気力が続かずに結局見続けることができませんでしたが、いんくの声が田村ゆかりだったので、その直前に見ていた『おとぎ銃士赤ずきん』を思い出してしまうことしきりでした・・・ということを今思い出しました(笑

やっぱり注釈も間が空きすぎるのは問題ですね・・・この内容でなんで『もえたん』のイラストなのか、自分でもにわかには思い出せなかったですよ(←この頃から、『萌える~』って書籍がやたらと出てくるようになった、ということのようです。多分)。

■ハッスル

このときは、まさか地上波で、しかも大晦日にぶつけてくるようなことになるとは思ってもみませんでした(笑

「プロレスのコード」が「説得力の有/無」という二分法なのかどうかは、かなり議論があるところでしょうし(前にもちょっと話題にしました)、その「説得力」が、「プロレス技」の説得力にのみ宿るわけでないのは勿論です・・・ただ、「説得力のない技」が「勝ち/敗け」というコードに優越してしまうと、それはやはり「プロレス」としては機能しにくくなるように思います。

その意味で、今の新日本プロレスは結構リスキーな橋を渡ってるな、という気がしますね・・・1・4東京ドームで、左手を完全に負傷してしまった中邑が棚橋に「勝つ」という結果を導くにあたって、「右手一本で雪崩式ランドスライド」というプロセスの「説得力」はかなりギリギリでした。

#棚橋のフィニッシュブロウのハイフライフロー(トップロープからのダイビングボディープレス)も、ややクラシカル過ぎる気もしますしね。

■『MCあくしず』(イカロス出版)

現在7号まで出てます。オタク業界の流行りネタを取り込むことに貪欲?なあまり、書き手にもそのムリが伝わっていて逆説的に面白いです・・・さすがに「ツィタデレ作戦」を「ツンデレ作戦」と読みかえるのはムリがありすぎです(笑

個人的には、速水螺旋人さんの「ロシア妄想主義概論」と、西川魯介イラストの「ころ萌がえ研究室」が楽しみです。やっぱりシュルツェンですよええ。

#そういや思い出した。少し前、『母べぇ』って映画がありましたが、その音を聞くたびに「KV」に聞こえて仕方なかったのです。それはどこの街道上の怪物か。

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2008年2月 3日 (日)

きっと五丈原にも温泉があるに違いない

本ブログの注釈です。だんだん間隔が開いてしまってますが(泣

■一騎当千DD

「DD」は「Dragon Destiny」の略。すみません、実は原作も読んでなければ第一期のアニメも見ていなかったのですが・・・世代的に、三国志というと、ゲームでは光栄の第一作目(諸葛亮に「ほかにすることはないのですか」と諌められるアレ)、小説では吉川英治版、マンガでは横山光輝版がベースになるのですが、昨今の『恋姫無双』とか見てると、いっそ清々しささえ感じますね。

#同時代的には、中原の地味目の知性派キャラが好きだったのですが。伊籍とか。

そういや、発売からかなり時期をずらしてキャラソンを購入したのに、ポスターがついてくるという罠にはまりました(笑

■温泉オチ

竹本泉が『トゥインクルスターのんのんじー』で、毎回お風呂シーンがあるのは「青年誌の文法」って書いてましたが(笑

■東浩紀『コンテンツの思想』(青土社、2007)

どんな機会があったらこんな本を精読するのか、というツッコミはさておくとして(笑)、やや長いですが、関連部分を引用します。

東〔浩紀〕 ・・・新城〔カズマ〕さんはキャラを描くときどこから描きます?

新城 上から順番に描きますね。

東 桜坂〔洋〕さんは?

桜坂 オーソドックスに目から描きますよ。

東 そうですよね、僕もやっぱり目から描くんです(といってキャラ絵を描き出す)。

桜坂 やっぱり、縦長の高橋留美子目を描くんですね(笑)。

東 そりゃまあ、そうですよ(笑)。

新城 でも、ラムちゃんって前髪と角から描きません?

東 それは邪道です(笑)。

新城 目から描くのは、高橋留美子さんを再現するにはいいと思いますけど、アニメ絵を再現するんだったら、まず頭から描いたほうが楽ですよ。

桜坂 それはキャラ絵を顔じゃなくて物体としてとらえてる新城さんがすごいという話ですよ(笑)。

東 高校生でそこに到達するのは難しい。なぜ目鼻から描き出すかというと、表情が描けるからだと思います。目鼻を描いたあと、どこに口を描くかが重要で、逆に言えば、それで高校生だとなんか描いた気になれる。

新城 その瞬間、どういう表情になるかが決定しますよね。

東 それをまず決定しないことには、髪型もなにもない。

新城 それはまさに『テズカ・イズ・デッド』の「キャラ」の方法ですよね(181-183頁)

東 ・・・物語のデータベースは、それこそ構造主義的なものであってパターンです。大塚〔英志〕さんが考えるデータベースはこれです。けれど、それと固有名のデータベースは違っている。たとえば、「桜坂洋と新城カズマは出会った」と書くと、そこから物語が自動的に展開していく、そういうタイプの想像力の織り込まれかたを固有名はもっている。そして、そういう固有名を虚構世界でどうやって作るか、というのがキャラクターを立てるということだと思う。でもこれは鶏卵の問題でもある。普通は物語がキャラクターを立たせるという順番で考えるからです。だから僕は、キャラクターのレイヤーがまずあって、そこに物語のレイヤーを噛ませることによって、作品が作られていくと考えるわけだけど、そのとき一番根底にあるキャラクターのレイヤーがどのように作られるのかは、よくわからない。〔中略〕

東 〔キャラクターのレイヤーは〕演繹的には導き出せなくても、現に存在しているわけです。それがどうやって生成されるのかが問題なんですね。

桜坂 どういう基準で萌え要素をチョイスすればよいか、ということ?

東 そうではなくて、問題は固有名そのものなんです。いちど固有名が確立されてしまえば、あとは萌え要素はけっこう変更できるでしょう。「長門有希」という固有名がひとたび成立しさえすれば、それこそ、もし長門有希が江戸時代に行ったら、とかさまざまな二次創作が書けるわけです。

新城 けれど最初の「長門有希」を手に入れるためにはどうしたらよいか、と。

東 そう!それがわからない。『動物化するポストモダン』では、桜坂さんが言おうとしたように、萌え要素をいかに組み合わせてキャラクターを生み出すかという話になっていたんだけど。(190-191頁)

・・・こういう風にぐるぐる考えてしまう人は創作には向かないんだろうなと、自省の念を強くするところです(笑

■エンゲルス的な意味での商人

周知のようにエンゲルスは、「文明」の基準を「商人」の発生に見ます。

「文明はこれらすべての分業を、とりわけ都市と農村との対立を激化させることによって・・・強化し増進し、それに第三の、文明に特有な、決定的に重要な分業をつけ加える。すなわち文明は、もはや生産には従事しないで、生産物の交換にだけ従事する一つの階級----商人を生みだすのである。・・・ここにはじめて、生産には少しも関与しないのに、全体として生産の指揮権を獲得して、生産者たちを経済的に従属させる一階級が現れる。これは、それぞれ二人の生産者のあいだの不可欠の仲介者となって、その両方を搾取する」(エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫、1965年、219頁)

・・・アニメ化された『狼と香辛料』の原作を今読んでいるところなのですが、どうにもエンゲルスとかウェーバーとかの議論を思い起こしてしまって(教会と都市の関係とかを考えると、今読んでいる2巻のリュビンハイゲンは『都市の類型学』のどこに該当するのか、とか)、素直に楽しめないのです(笑

#いや、ホロは可愛いですよ。高燃費だし(笑

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2008年1月11日 (金)

大きな歴史を食べちゃった(光は東方より・13)

もはや半年近いブランクが空いてしまいましたが、本ブログの注釈です。

■上白沢慧音(かみしらさわ・けいね)
『東方求聞史記』によると「獣人」にカテゴライズされていますが・・・満月のときに白沢に変身するのは「ちなみに後天性」と解説されています。どんなだ(笑

同書には、「宿題を忘れたりすると恐ろしい罰が待っている」との件に「頭突きとか」、「満月の夜に彼女の元を訪れるのは止めよう」との件に「角の生えた頭突きは痛い」と注釈があるので、けーね先生のデフォルトのコミュニケーション手段が頭突きであることがわかります。

『東方乙女囃子』(IOSYS)の収録曲は最近カラオケに入っていたりするので侮れません。それはそうと、歌詞の中の「大きな歴史」が、いわゆるグランドセオリーのことを示しているのかどうかは、当然定かではありません(笑

■フェルナン・ブローデル(1902-1985)
アナール学派第二世代の旗手、というか、アナール学派自体途中から「ブローデル的ななにものか」という印象が強くあるくらいですが・・・日本では「社会史」という形で受容された方法論ですね。最近は、ロバート・ダーントンの『猫の大虐殺』が岩波現代文庫に落ちたりしているので、社会史もかなり人口に膾炙しているのだろうと思います。

ともかく、ブローデルは著作が大部なものが多いので怯んでしまい(『地中海』(藤原書店、1991-95)全5巻とか)、とりあえずダイジェスト版として『歴史入門』(太田出版、1995)を手に取ってみたのですが、これがまた読みにくいのですな・・・つまるところ、『物質文明・経済・資本主義』をちゃんと読め、ということですね。

■イマニュエル・ウォーラーステイン(1930-)
この注釈ブログで前にも言及しましたが、「世界システム論」は、経済的モメントに力点を置きすぎているとはいえ、今でもそこそこ影響力のある議論なのだと思いますが、個人的な問題関心としては、ウォーラーステインの提示する「世界帝国」、すなわち、「資本主義世界経済以外の諸世界システムの詳細な研究」の進展(ウォーラーステイン『脱=社会科学』(藤原書店、1993)、387頁)が、どれくらい「世界システム論」自体を突き崩すことが出来るかが興味深いですね。山本有造編『帝国の研究』(名古屋大学出版会、2003)とかがその方向性なのでしょう。

■永原慶二『20世紀日本の歴史学』(吉川弘文館、2003)
永原さんの記述に従うならば、1960年代に「戦後マルクス歴史学がアカデミズム歴史学の一つの方法化するなかで、伝統的な実証主義的歴史学も伝統的な問題関心の枠組みを拡大し、そのスタイルを急速に変えてい」き、1970年代には「アカデミズム歴史学対マルクス歴史学といった構図は解体した」ことになります(193頁以下、237頁)。

私は史学科出身じゃないので事情がよくわからんのですが、少なくとも私の母校の某私大ではこの図式はあんまり有効じゃないようです(笑

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2007年11月 1日 (木)

タンメンとワンタンメンはちがうものだ

本ブログの注釈です。

■OYSTER『男爵校長』(双葉社、2005-07)

だからウムラウトは取れと言ったのだ。

セリフのリズムとか、コトバ選びのセンスとかが実に私好みなのです(ドナさんのこのセリフは1巻30頁。ちなみに、バトンをいただいた星野さまのところに書き込んだ際のタイトル「メモリアるのかメモリアらないのか」は、2巻97頁のアリカのセリフ「クリスマるのかクリスマらないのか」から。「ときめき」というと反射的に「メモリアル」と続けてしまうのは世代的な性のようなものでしょう。多分(笑))。

あと、カバー裏のマンガで、無茶苦茶画力のある人なのがわかります。時折入るフランスの片田舎っぽい衣装も良いですね・・・おおう、フランスの片田舎にはトラウマがあるんだった(笑

■「無条件(unconditional)」

「ドイツ、日本、イタリアの軍事力の除去とは、ドイツ、イタリア、日本による無条件降伏を意味します。それは、将来の世界平和の合理的な保障を意味するものです。それは、ドイツ、イタリア、日本の国民の絶滅を意味するのではなく、これら諸国内の他国民の征服と隷属を求める思想の絶滅を意味するのです」(ルーズヴェルト)

・・・かつて、江藤淳のポレミックな論争がありましたね。

■J・P・ブレイロック『ホムンクルス』(ハヤカワFT、1986)

個人的には、ブレイロックの作品では『夢の国』(創元推理文庫、1987)が好きなのですが。いずれにせよ、妙齢の女性がカバーなしで読んでるとわりと違和感があります・・・というのはきっとジェンダー的には問題発言です(笑

そういえばこの頃、スチームパンクがわりと流行っていたのですなあ。『ギア・アンティーク』なんてTRPGシステムもありましたね。

■衒学(ペダントリー)

とりあえず、自分が信じてもいないことをさも信じているかのように語ることに抵抗のある人には向きません・・・法水麟太郎なんてウソばっかりついてます(笑

「ねえ支倉君、心像〔ゼーレ〕は広い一つの国じゃないか。それは混沌〔ダス・カーオス〕でもあり、またほんの作りもの〔ヌール・キュンストリッヘス〕でもあるのだ」

「令ちゃんのウソつき!」

・・・支倉違いでした(しかもとばっちり)。

#世の中広いので、『黒死館殺人事件』と『マリア様がみてる』を両方たしなむ人も、きっと100万人くらいはいるに違いないと信じております(笑

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2007年10月 7日 (日)

雉も鳴かずばハーマイオニー

本ブログの注釈です。

※ロックの引用を追記しました・・・岩波さんの回し者か私は(笑

■古野まほろ『天帝のはしたなき果実』『天帝のつかわせる御矢』(講談社ノベルス、いずれも2007)

ちなみに、第1作のエピグラフは『虚無への供物』の奈々(奈々村久生)のセリフです。これをやられたら、とりあえず買わなくちゃいかんのです。ええヒトとして(笑

ちなみに、周到に二回も「読者への挑戦状」が挟まる、という親切なつくりです。それにはそれなりの理由があるのですが、詳しくはネタバレになるから秘密です(笑

ちなみに、三部作だそうです(『天帝の愛でたまう孤島』)。エピグラフは怪盗紳士ルパン(らしい)。

■キース・ロバーツ『パヴァーヌ』(扶桑社、2000)

昔はサンリオSF文庫で、読むのにとても敷居が高かったものです(笑

■戸坂潤「『常識』の分析」(『日本イデオロギー論』岩波文庫、1977)

ここで「常識」は、ネガティヴな場合は「単に平均的な凡庸」と言い換えられる一方、ポジティヴな場合は「病気と健康のとの総平均などではなくて、各人の健康状態の標準であり又理想」としての「健全」と言い換えられています(84頁)。本文と関係が深い箇所としては、こんな件でしょうか。

常識が一応端緒的には社会人の多数の見識の平均値と関係があるにしても、又更に事実上の現象として一見した限りでは多数者の平均的な凡庸な見識のことにすぎぬにしても、この多数とか平均とかいうものが吟味を必要としたのであって、却って之等のものを引き上げ押し上げデベロップさせる理想像のようなものであった。であるから、常識は結局に於て多数者のものでもなく平均値的なものでもなくて、却って或る種の少数者だけが事実上このノルムに接近(?)出来るのであり、又却ってこの平均値を抜け出る処にこそ恰も卓越した常識が横たわると考えられる、という事実が説明され得るのである」(87頁)

・・・やはり、西沢さんにこの境地を求めるのはちと酷かなあ、と思わないでもありません(笑。

■リベラリズム/コミュニタリアニズム
ちょうどこのころ、何かの必要があって、仲正昌樹他『現代思想入門』(PHP、2007)を読んでいたので、そこで紹介されていた井上達夫さんの議論、つまり「正義と善を混同してはいけない」という議論をなんとなく思い起こしたりしていたのです(『共生の作法』創文社、1986、193頁以下)。
・・・わかりやすいかなあ、ということで、北田暁大さんの「現代リベラリズムとは何か」の図式を示しておきます(165頁)。

               個人志向

    (功利主義?)    ¦    リベラリズム

善志向 ---------------+------------------ 正義志向

    コミュニタリアン    ¦   (功利主義?)

            共同体(社会)志向

あんまりわかりやすくないですか。すいません(笑

■ロック的自然状態

社会契約論の前提となる「自然状態」にはいろいろあるわけですが、ロックの自然状態は、例えば「新大陸」の存在を前提にするようなタイプなのですね。でないと、そこから「所有」が発生しないので。

自然は、人間の労働の程度と生活の便宜とによって巧みに所有の限度を定めた。何人の労働といえども、すべての物を征服し占有することはできない。またそれを享受するといってもその一小部分以上を浪費することはできない。それであるから、何人でも、他人の権利を侵したり、あるいはその隣人を犠牲にして自己に所有権を獲得するというようなことは、あり得なかったのである。ある者が、自分のものを獲得した後でも、なお、その獲得以前と同様に、隣人には、多くの良い、また十分な財産の余地があったに相違ないからである」(『市民政府論』岩波文庫、1968、40頁)

■無知のヴェール

これも有名な、ロールズが「自然状態」を規定するときに用いる前提条件です。まあラフに言えば、人間は「差異」の存在を知ると必ずそれを意識してしまうので、他者との差異には気付くことが出来ない、という前提を立てないと「自然状態」を上手く理論化できないわけですな。

・・・そんな都合のいい話があるか、という反論もよくあります(笑

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2007年9月28日 (金)

ひょっとして今はない店舗なのかも

本ブログの注釈です。

■赤い光弾ジリオン

放映年が1987年・・・ってことはもう20年前ですか。うわ(笑

このころから、アニメのメディアミックス展開がいろんな形で見られるようになってきた、という印象なのですが、どういうわけかジリオンのドラマCDは強烈に印象付けられてます・・・水谷優子の活躍も今となっては微笑ましいですな。

似たようなネタで恐縮なのですが、『お洒落倶楽部』の他にも確かもう1枚、キャラソンの間に短いドラマが挟まるアルバムがあったと記憶してるのですが(ぐぐってもよくわからん(笑))、そのオチがどうだったか思い出せずに煩悶することしきりです・・・白にピンクだったか、白にブルーだったか(笑

■アンナミラーズ

アンナミラーズといえば『ヴァリアブル・ジオ』なのですが(笑)、よく考えたら、私がプレイするときに選んでたのはアンミラではなく珈琲館でした。

少し前まで、神保町の珈琲館にはよく行っていたのですが、最近はスモーキングルームと化しているのでちょっと足が遠のいています・・・タバコはそれほど嫌いじゃないのですが(自分じゃ吸いませんけど)、室内に霧が立ち込めている感じで「こんなところに古い空間が」とかつぶやいてしまいたくなる感じなのです(笑

アンミラはさらに行ってませんな。

■唐沢俊一・岡田斗司夫『オタク論!』(創出版、2007)

基本的には年寄りが若いもんに対して高みからモノを言うというスタンスなので、同時代史として面白く読むと共に、我が身を省みる必要も感じることしきり・・・私の場合もとから説教癖があるので(衒学癖、と言いたい所ですが、やっぱりそうは徹しきれていないので)、とりわけ世代間の差異がある場合には、このあたりは相当注意しないといけないところなのです。

どうでも良いですが、一世代下の「オタク」論陣への皮肉を込めた評価は、大いに頷けるところがある一方、それはちょっと違うのでは、とか思うところもないでもありません。きっと私がアカデミズムに近すぎるからでしょうが(笑

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